●今朝の朝日新聞の一面と続く3面の特集は基本的に我々が薄らと考えていた伏魔殿そのものと大して違わない。 やはり大衆の勘と言うのは的を得ているものだ。 つまりムラは外部社会と謝絶することでその呼称の意味がある。そしてそれは存続のために
そのムラを守ることが目的化され、一層そのために何が何でも強い結びつきが求められる。 もうこれは日本の文化そのものである。 その存続そのものが絶対化され外部からの制紂を拒否する。 もう微生物のアミーバと同じだ。それだけに本能的で理屈ではない。 群れるムラ意識がここ東海村にも強固に蔓延っていた事実に大震災がここでも
直撃した。 いままるで蜂の巣やアリ塚を襲われた熊蜂・軍隊蟻の本能的な混乱と群れムラの再修理構築に向けた作業が営々と事故の修復の裏で原子ムラの再生も立ち上げられているのだ。 そこには自己保存の本能だけの再生だけであれば蟻や蜂と違わないことになる。 いま大切なことは人間が築き上げた本能的ムラのありようがまたまた以前と同じ再構築で良いのかと言う視点が問われるべきではないのか。 人間の頭脳が本能だけに左右されているこのムラに根底からこのムラの有りようが検証されないと我々は蟻や蜂と変わらないことになる。 彼らは全然そのままでも人間には無害であるが我々のそのムラはほっておけばまたまた本能的に無制御に原子の火遊びに熱中して今度は大震災がなくても自らの不始末でとてつもない原子の爆発に突入してしまうかもしれない危険を知っているのであろうか? 知的な人間はこの制御できないこのムラの制御なしにこのムラを徹底的に火あぶりシテでも不純な要素を取り除いてからでないと再開させてはイカンようだ。 レスリングの審判はプレイヤーより腕力が強くなければプレイヤーに負けるのである。 それが出来なければレスリングの試合はさせてはならないのだ。 人間にはそれぞれその知恵が有るはずではないのか? いま事故の瓦礫とかごみの後始末だけではなく見えないこんな後始末もものすごく大事なのでは?
もうこのムラの連中は虎視眈々とまたまた本能的にムラの存続を求めて日々日夜蠢いているやに見えてしかたがない。 その動きは放射能と同じく見えないのだ。 それを見逃しては元の木阿弥。
知っ得 http://www.new-life-club.com/Bizdoor/


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