2015/12/27 (敬称は省略します)
世のなかとんとん
いずれ嫌われ、そぐわない日本基準の煩わしさが日本のガラパゴスを加速?
●日本の携帯などもあまりに設定が多すぎてもっと安く、もっと簡便なものをという期待が多いのはよく聞いた。 世界にはいろいろなタイプの需要がある。 その意味で日本型のモデルにしたやり方は汎用性はない。小型電気機器でサムソンや他国にまったく引けを取っている。 もし輸出を望まないならばそれでいいのだが。 こういう日本基準は日本人でも煩わしい。 余計な技術お世話がゆゆすぎるのだ。 おもてなしと言いながら随分と押し付けがましさが表に出て誤解される国柄でもある。 日本人がこの国に生活していて実にその押し付けにも辟易するのでは。外国の人に於いておやである。 いわゆる世間という目が結構息苦しさで迫ってくる。
最近も新幹線輸出で日本はインドネシアに逆転で絶対的な援助絡みからの受注間違いなしの成約を逃したが、どうやら日本の外務省などの業務怠慢などとも言及されて元々からの外務省の高踏的姿勢が批判されたが、こんなことを外務省に言っても始まらない。 もともと外務省が新幹線をよく知るわけはないしただの連絡役でしかない。 中国の報道の方がなるほどと思わせる。 上の携帯のなしは白物家電でももう10年以上前から中国や韓国でも現地に対応した結構きめの細かい現地希望仕様を作って輸出してもう日本は割り込めないほどの独占市場である。 やはり彼らはいわゆる足で稼いでいるのだ。 むしろ先方の細かくても搔いてほしいところの気持ちを製品に反映させているのだ。 それがもう日本人には煩わしいのだ。 いいものだから買って当然だと言わんばかりの鼻持ちならん啓蒙的高踏的な姿勢であったろう。 日本の汎用電化製品の軒並みの撤退がいまのいまになった。 成長期は20社くらいの電機メーカーは今は大手も入れても僅かしか残っていない。 当然である。 東芝。シャープを見ればよく分かる。 日本はそれでもロケット、飛行機、原発、精密機械がまだまだある。 おっと新幹線もだ。と言って逃げ込んでいる。 これもかなり他国は追い込んできている。 やはりなにか追い込まれているの気分は抜けないのだ。
新幹線も日本は新幹線の独自優越神話に浸っていたがこのインドネシアの獲得失敗で分かったことは、相手方に必要のない精密仕様を誇ってその技術優越性の自己満足で相手国の希望実態と価格に対する期待値を考慮に入れていなかったことだ。 一分一秒の誤差の正確さを問うなんては相手にはほとんど関係ないのだ。 事故のことだって新幹線は死者がいままで営業運転ではなかったとはいえ相手はそんなことを絶対にして必要な条件とは考えない場合もあるのだ。 とにかくは価格がやはり核となるのだ。 もちろん政治的な背景もあろうが技術の高さを売り物にしてこちらの条件仕様を強制するやり方は問題だ。 中国がこれに対して日本とは別の柔軟な条件で迫ってゆけば、つまりとにかく低価格で必要最低限度の新幹線仕様を追い込んでゆけば日本はいずれ追いつめられる。 日本仕様とは文化における日本の押し付けにほかならない。 そんなことが後進国から中進国の発展途上国に変貌してきている彼らが腹の底で反発しているのも分からぬでない。 結構日本人は院議無礼な高慢ちきな人種とみられてもいるのだ。 とくに近隣アジア諸国からは。
世界はインターネットによって産業革命よりも数倍の文化技術大革命に入ってまだ40年にも満たないほんの入り口で、すでに技術の拡散は日本人が想像する以上に世界に到達しているのだ。 この先の世界の変貌はもう想像を絶する。 そんな中でチマチマとした日本基準なんて吹けば飛ぶような存在になるかもしれない。 日本基準でないと存在しにくい煩わしいこの日本得意分野はこれから先、確実に狭まってゆく。日本ではそのことはあまり正しく伝えられていない。 いま人口減少の真っただ中に入りかけてこれのを通り過ぎるのにまだこれから先2030-2040年まで中をとってもこの先20年はトンネルの真っただ中だ。 いまの20才がエエ年の40歳ころには、もし新幹線需要があったとして日本の新幹線が世界の中でどれだけ走っているだろうか? そんなことよりはもっと世界に門戸を開いて無理な輸出をしないで、いまの内需65%をもっと増やして世界と仲良くバランスをとる政策が大切だ。 とにかく規制規制の文書主義の堅苦しい国柄はもう守ろうとしても土台無理だ。 何千年も前にポリネシアやミクロネシアから南の海伝いにインドネシア、マレーシア、ベトナム、中国南部を経てもともとそれよりの先住民たちとの合作がいまの我れわれの祖先だ。 みーんな仲間なんだ。 そう思えば難しいこともない。 分からないときはそう意味ではじめに戻ればいい。 今に残る中国の文書主義が日本もそんなとこだけは引き継いで約1000年ほど墨守してきたが、それもこの先いつまでも続くとは思えない。 本当は1945年に国家滅亡が当然であったのに、戦勝国のお慈悲で国家再生をさせてもらっただけでも感謝感激のハズであった。 それほどのとんでもない国家肥大の末のいまをすっかり忘れたようなこの国の平和ボケは今になっても歴史の中で自分のしたことを忘却していまに日本主義の旗をまたまた愚かにも画策して掲げんとしている。 この横着横柄さには詭弁を通す陰険な日本の別の顔が見え隠れしているのだ。 それは前非を顧みないど厚かましい謙虚さのない安倍の姿に透かし彫りで顕れている。
それが戦後70年経って、アメリカの庇護のもとにやんちゃのガキが薄笑いして再生復活せんとの錯覚を現実と見誤って桃クリ三年柿八年と言い放っている放埓さにはあきれ果てるのだ。
やはり原爆2発も自業自得以外に怒りの矛先は他に向けてはならない。 われわれ自身も至らない無知な国民の歴史を紡いで今日に至っているのだ。 もともとこの国にはもともと温容な南方系の血筋と大陸北方系に加えて中国南方、北方騎馬系の少数外来系の混ざり合いが時代を分けて外来してきた。
ただ文字を有して先進文化域からの外来系が、文化文字を有していなかった紀元前後から文明文化に浴してその中から小賢しく偉そうな文治主義だけを選別的に取り入れたのだ。 しかしそれ以後いまに1000年を経たのがいまだ。
これから先は滔々たるIT技術の人間への知識の急速急拡大の乗数的爆発の前に経済と政治の異次元の未踏の域に立ち至らんとしている。 あの戦争の原点を忘れていまの自己肥大のまたまたの大錯誤に陥らんとするこの国は国の今後を規定する憲法と原発と安全保障つまり国の近所付き合いのあり方で根本的な狭い小世界論理の中にまたまた懲りない逃げ込みを図らんとしている。 うえの三つは究極的には日本が日本であるための世界に尊敬を得て過去の贖罪も含めての避けられない大道である。 どの一つも外せない日本の王道として進む大指針だ。 ちまちまとした日本主義はもう打ち捨てないと先祖の流れ着いて今まで育て上げたこの国をふたたび奈落の国家使用滅の淵に追い込むことになるぞ。 もう二度目は世界も許さない。 日本は世界に生かされるためにもよく考えないといけない。 こんなことではいつかまたアメリカが袖にしないとも限らない。 その時には日本の道は閉ざされるのだ。

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