2016年1月1日金曜日

戦後70年の敗者復活戦


2016/1/1 (敬称は省略します)

戦後70年の敗者復活戦

●ボンボンと2発の原子爆弾で止めを刺されて70年。 いつもその先には

勝者アメリカがあったし今もそうだ。 ここ5-6年前にはおなじ安保常任国の中国が入ってきた。 鬼畜米英と言ったあの戦前の狂おしいまでの憎しみが泣いたカラスがもう笑ったの豹変ぶりの戦後ニッポン。 考えればあの当時は少子高齢なんて夢のまた夢であった若さが横溢していて敗戦の暗さなんてこれっぽちもなかった。 わたしの記憶でもあの夏のギラギラの明るい印象がある。

食べるものは貧しくてもどうしてあんなに苦しさを感じなかったのだろう。 なにか大人たちも抑圧された時代からの解放感に浸っていた思いが強い。

あの当時ラジオから町中に流れていた美空ひばりと笠置シズコの歌謡曲がいまも頭の角から聞こえてくる。 物はなくても何か明日への思いが溢れていた。

きっときっとすべてを戦争でガラガラポンした俺もお前もおなじ河原の枯れすすきのようなすっからかんの解放感だった。 そしてそのごの復興で働いて学んで大きな世界に冠たる中産階級が出来上がった。 

いまこの中産階級が上下というよりは下にどさっと崩れ落ちた。 東電原子炉のジブリのように。 やはり日本は原爆を持てなかった国でなくてよかったょ。 なにか思想的に日本は幼い子供だ。いまもこの思いが抜けない。 フロントランナーにアメリカがいることは良く考えれば決して悪くない。 間に中国が入り込んできても決してアメリカの後姿を見失ってはイカンと改めて思う。 

今日は冬の真っ青な抜けるような青空。 あの思い出当時のあの空と同じ青だがあの屈託のない暑さとは裏は裏腹の寒さではあるが。

これからも敗者復活戦は続くがもう少し明るく続けられたらいいだけで、それ以上の文句は言わない。 それには原発はいずれ止められたらいい。 これは切望だ。 それだけでもあの当時の目くるめく明るさへ回帰できると思う。 

言ってもあの敗戦のあの当時の実感記憶は何にもまして得難い体験であることをいまも痛感する。 年のはじめに思ったことだ。

0 件のコメント:

ブログ アーカイブ