2016年1月26日火曜日

世のなかとんとん


2016/1/26 (敬称は省略します)

世のなかとんとん

前原、小沢両氏が会談 野党結集めぐり民主に波紋

●この会議には元の反小沢の急先鋒だった大口前原とどうもいつも途中で腰折れになるかっての細野が同席した模様。 いまもってこんな最後の政局場面でも小沢頼りの野党のだらしなさは目を覆いたくなる惨状とはいえこれが現実とすれば最後の正直として、民主解党、新党オッタテも一つの選択肢かもしれない。 まさに同床異夢の民主の最大矛盾である政権側の僕である公労協の見せかけスパイ郎党をこの際はスパッと切って、まさに中道右派の一軸としてのイデオロギー排除の新たな中産階級回復への手立てを最大の公約にすれば既得権益に汚染されたまやかしの与党、とりわけ自民の牙城のこれ以上の横着横柄をと止め国民大衆に対してのやっとこさの歯止めになれるかもしれない。これは一縷の期待だ。

もちろんそのためにはリンゴの箱の中の腐った公労協の部分はバサッとそぎおとさねば意味はない。 この際は獅子身中の虫に堕した岡田一統を峻厳排除して後顧の憂いのないようにせよと言いたい。 さすれば維新の党との最後の新党の機会は残されるかもしれない。 岡田一統を切って維新で補完し併せて野党連合の旗印のもとに敵前で大転回の荒業は小沢にはもってこいの舞台になるかもしれない。 前原・細野はこのチャンスに民主右翼サイドの不平不満の潜在的脱党者を糾合すれば一縷のチャンスは残されるかもしれない。 仮にこの参院選にはなんとしても五分五分には持って行ければ負けではない。 再起できる足がかりだけはどうしても確保することがいまもつとも大切なことだ。

はなしは変わるが、アメリカにとっても日本の野党があまりにも弱いことは困ることなのだ。 安倍与党は本来はアメリカに臣従しているように見えても本音は一皮むけば日本主義的右翼の筋を引きずっている。 いずれ歴史は繰り返さないとも限らない。 日本には心情的右翼思想のシロアリが江戸時代あたりに起こってそれが明治維新の回天事業の中で発育し、その極みがあの大敗戦でバスーカ砲で焼き殺されていないのが残ったのだ。 冷戦でアメリカが再利用したのが底辺で生き残ったのがいまも政府の奥底御殿で蠢いている。 それが安倍になってまてたまた蠕動してきているのだ。 まあいまの日本の実力ではとても昔の再現はありえないとしてもアジアの安定を目途とするアメリカの

政治力学とはやはり異色なのだ。 アメリカは絶対にそれを許さない。 その右翼独善思想は本来的に高度な思索が裏打ちされたものではなく、大雑把なものだ。 日本にはそんな緻密で奥の深い厳密な思想はもともと育ったためしはない自然教の類いだ。 そのくせなにか思想めいて高度なものとういう日本教信者は思い込んでいるだけだ。もういわばあの戦争の時の行き詰まれば一億突貫のテロ自爆でイスラムとやることは変わらない浅薄さなのだ。

 それがいまの、いや戦後も底流して日本の官僚、文書主義に合一して政治統治に手段化してもう一種の身分となって社会階級化していることこそが日本のいまの進化を物凄く劣化させているのだ。 もうこの身分を打破しないと日本の成長発展はありえない。 発展するアメリカの底力は異種を取り入れそれを新しいエネルギーに転換できる社会構造の柔軟性がその源である。 日本のこの身分制度はまさに江戸時代の士農工商に先祖返りする為政者に都合のいいものだ。 しかしそれでは自由な社会というよりも為政者のためのご都合のいい社会である。 そんな社会ではアメリカのようなつよい発展力は育たない。 安倍の考える薄っぺらいご都合主義の身分社会化はではいずれ日本はそのバイタリティは内面から押しつぶされてゆくのだ。一億総活躍なんて実に単純なお笑い草のまさに笑止千万の能無しキャッチフレーズでこの政府の脳の程度を明瞭に示すものだ。

 もっと日本は拓かれて世界ともアジアとも融合してゆかなければ1億は食ってゆけない。 まずは国民が食えることだ。 日本主義の飯では全部どころか一般国民は空き腹を抱えて文書主義の信奉者どもがたらふく食う江戸時代に戻るのだ。 それゆそんなシロアリが差配する社会は世界の中でも拓かれない。

 日本は急速に衰えるだけだ。 やはり健全な野党がいなければならない。 ただ大口の前原、細野では余りな期待はテンから無理だ。 毀誉褒貶に塗れた小沢にまたしても懲りない期待を強いるのは実に情けない。 亀井もついでに手伝ってやれといいたいがこんなことは何度目かという気もしている。

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